あとがき
朝鮮の人々と朝鮮半島の南部に上陸した倭人との争いは歴史が長い。これは、高句麗と百済が争ったことと同じ次元のできごとであり、百済と新羅が争ったことと同じである。そればかりか、『三国史記』によると、倭人と百済や新羅の人々との友好の逸話も少なからずある。世界中の隣国がそうであったように、戦争をしたり、合従連衡をしたりと、当たり前の関係であったのである。しかし、これらの歴史は大和朝廷が朝鮮を支配したとする通説とは関わりのないものであったことを忘れてはならない。最近は、形を変えた日鮮同祖論が流行っているが、民族性の違いは古代より次第に大きくなり、両者はまったく違う歴史を歩むことになる。
古田博司氏の『朝鮮民族を読み解く』(ちくま学芸文庫)によると、仏教やシャーマニズムや風水を信じていた高麗のひとたちは、朝鮮の儒者が権力を握ると激しい弾圧に遭った。明国の法律を用いて、火葬者は百叩き、埋葬しないものは墓暴きと見なして切り殺すことにし、寡婦が再婚しようとすると拷問を受けるようになったのである。僧侶は賤民扱いで、ソウルに入ることも許されなかった。朱子派の儒者たちは、王陽明の「邪説が横行」する中国は「禽獣が人に近づいた」国であり、中華のインテリたちは「頑固で賤しい」人々として見下して、密かに自らを中国よりも「中華」らしいと誇るようになった。
ところが、明国の朝賀の席で、千官がきらびやかな朝服を着るのに、ひとり朝鮮の使臣だけが朝服を着ることが許されず、黒の丸首の衣で朝賀の列に従うように強いられた。また、王城に入るときも、琉球の使臣でさえ皆かごに乗って入るのに、朝鮮の使臣のみ、かごに乗ることが許されなかった。
このようにして朝鮮民族は中国以上に、中華の礼、具体的には朱子の定めた礼教を果敢に実践し、李朝時代に一大社会改造を行ってしまったのである。
この過程でコンプレックスにやや遅れながらも、ほぼ平行してプライドが生じてきた。中国よりも中華の礼の行われる東方の礼儀の国という誇りである。この誇りは同時に、中国の礼儀の実践度合により、彼らに民族序列意識を生ぜしめた。琉球より朝鮮の方が礼儀が実践されているのになぜ朝鮮は下位に扱われるのかと憤り、中国の礼儀の行われていない日本を蛮族の地と卑しみ蔑んだのである。こうして「上国」へのコンプレックスと「下位国」への優越感が、彼らを足の届くことのない天空につりあげたのであった。
朱子派の儒者たちの歯噛みするような屈折感はわからないでもないが、おそらく中身のない形式主義だけであると中国に見透かされていたのであろう。というのも、伝統の風習を守ろうとする民衆を弾圧しながら、高位者や有力者は財にまかせて山寺をつくり、そのなかに遺体を安置して僧侶に守らせたり、シャーマンに奴隷をあずけて、野辺の遺体のそばに小屋を立ててその管理をまかせたりしていたからである。そしてこれらの高位者たちは三年間墳墓をまもった孝行者として表彰されていたのであるから、いかにもご都合主義で、本心から信じていたわけでもないようである。
しかし、形式主義の韓国からみれば、朝貢することさえ知らない日本は野蛮の極みと見えたのである。韓国の国定教科書(二〇一〇年から中学校と高等学校の教科書は日本式の検定制度に移行)では、古代に日本に文化を伝えてあげたと子供たちに自負心を植え付けようとする記述が目立つが、平たくいえば、彼らは王による献上品で、帰国することさえ許されなかった。中国人の記録によると、『三国志』韓伝では、馬韓の北部で帯方郡に近い諸国は少しは礼俗をわきまえているが、遠い地域では全く囚人や奴婢の集団のようであるとしていたし、『隋書』俀国伝は新羅・百済は俀国を大国で珍しい物も多い国として敬仰し、つねに使者を往来させているとしていた。
朝鮮通信使の記事でも、韓国の教科書は日本に文化を伝えたと特筆大書しているが、事実はだいぶ離れている。秀吉の朝鮮出兵を深く恨んでいた朝鮮に、家康のほうから通信使の派遣を求めたのは事実であるが、林羅山は通信使を「来貢」と捉えていたし、「朝鮮使節を厚遇するのは日本国内の大名への懐柔策と同じことを意味する」としていた(中尾宏『朝鮮通信使をよみなおす』明石書店)。大名行列に対しては下座して平伏する規定であったが、韓国の教科書が載せる通信使の屏風絵は、庶民が平伏することもなく行列を見物している様を描いていて、幕府の威光を示す意図があったことが窺える。
中尾氏は、新井白石が朝鮮の人々を「捨恩忘徳」「不願信義」「狡猾多詐」と評していたのは白石に時代的限界(偏見)があったからであるとしているが、その偏見の元となった事実が記されていないのは公平ではない(『新井白石全集』第四巻「国書復号紀事」の表記は「棄恩」「狡黠」)。『折りたく柴の記』(桑原武夫訳、中公クラシックス)によると、若いときには朝鮮の使者と交わり詩百篇を書いて批評を求めたとあるから、白石が最初から偏見を持っていたようにも思えない。しかし、のちに幕府に仕えるようになると、白石は莫大な経費が使われていた朝鮮の使節の扱いを軽くして経費節減を図ることになるから、それほどありがたがっていたようにもみえない。また、「朝鮮使節は、輿に乗ったまま宿舎に入り、こちらの使者が宿舎に来ても、送迎の儀式もなかった。これらのことは、古来の礼法にひどくそむいている」として、改めさせたという。
朝鮮の使節から、将軍の返書のなかに、朝鮮の七代前の国王の諱を犯したところがあるので改めてほしいと要求があった際には、白石は「五代たてば名をいむことのないのが、古代の礼法である」とし、『論語』の「自分がいやなことは他人におしつけてはいけない」を引用し、「朝鮮からの国書を見ると、まさしく御当代の御祖父(家光)の諱を犯している。七代以前の国王の諱を避けてほしいという者が、どうしてわが国の御当代の御祖父の諱を犯したものを持ってきたのか。言うところが一々無礼である」と、撥ねつけている。結局、朝鮮の国書を改めてから、日本側の国書も改めて決着した。
白石が偏見を持っていたのは、「吾が朝鮮は古より禮義の邦也などと申事に候へども」、我国に対しては隣交を継いて聘礼を修めと称し、自国では倭情を偵探する使としている、我国に対しては国王と尊び称しているが、自国では倭酋と賤しめ称している、「何の禮とし信とする所候はんや何の禮義の邦とすべき所候はんや誠に古へに申傅へ候ひし豸歳(この二字で一字)貊東夷の国俗とは申すべき事に候」(「朝鮮聘使後議」)として、その「狡黠多詐」に憤慨していたからである。
韓国朝鮮人に対する偏見を煽る必要はないが、偏見の元になった事実が隠されていると、事実を知ったときの反動が大きい。わたしは、韓国が中国と国交を樹立した際の韓国マスコミの論調が忘れられないでいる。韓国のマスコミは、国交の断絶を否定する韓国政府を疑いその真意を問い質していた台湾が、突然の断交宣言に狼狽する様を見て、得意になって嘲り笑ったのである。それ以前に、台湾との断交に際して特使を派遣し、身を屈めて理解を求めようとした日本に対して、断交は信義を裏切る行為であると韓国のマスコミが非難したのはまだ理解できる。自分たちが同じ裏切り行為をしたときに、反省の弁がなかったこともまだ理解できる。しかし、驚きうろたえている相手を嘲り笑う必要がどこにあるのであろう。必要もないのに、永遠の敵を作っていることにどうして意が及ばないのであろうか。
サッカーのワールドカップ日韓大会のドイツ戦において、「ヒトラーの息子たちは去れ」と掲示板を掲げ、ドイツの選手の写真に黒枠を付けて葬儀写真として掲げた事件も理解しがたい。自国開催の興奮のなかで、韓国人の伝統的なハン(恨)が時空を破ってその異様な姿を現したと理解するべきであろうか。テレビのニュース番組でも放送されたのである。ドイツ人の憎しみを買うだけの、意味不明の自傷行為であることに気がついていない。ドイツ人を尊敬していたのではなかったのか。どうして止めるひとがまわりにひとりもいなかったのか、これも不思議である。
本当の歴史だけを教えろとは言わない。子供たちに自負心を植えつけるためには、歴史に色をつけることも必要かもしれない。しかし、自主独立の半万年史と矜持を示しても、半万年の属国史かと混ぜ返されてしまえば、心も屈折する。自分を持ち上げるのもいい加減にしないと、コンプレックスとプライドの狭間で天空に舞い上がってしまった歴史を繰り返すことになるのではないかと、他人事ながら心配になる。
日本を非難する慰安婦キャンペーンを世界に言い触らそうとしているのも理解しがたい。在日朝鮮人の作家の小説を読むと、家の中で陰にこもって夫婦喧嘩をする日本人とは違い、朝鮮人は表に飛び出していかに相手がひどい人間であるか、近所の人々に大声で訴える場面に出くわして違和感を覚えるが、外交も同じ感覚でやっているのであろうか。新大統領は日本の歴史認識を批判して、日本を百叩きするキャンペーンを千年続けるつもりのようである。韓国は、表の半身は現代的な姿をしているが、裏の半身は儒教が支配する中世を生きている。事後法の問題であったり、国内法優先の問題であったり、韓国の近代国家への道のりはまことに遠いと言わざるをえない。今は、白石の認識の時代に至ったと理解するべきであろうか、それとも、心に於いて亜細亜東方の悪友は謝絶するとした福沢諭吉の時代に至ったと理解するべきであろうか、思いは尽きない。
21世紀は、アジアの世紀、
福沢を持ちだすのは時代錯誤
16世紀からすでにアジアの時代で、ヨーロッパはアジアの富に群がっています。後にイギリスは銀が枯渇してアヘンで貿易決済する有り様でした(いまになってみれば、イギリス人にもみじめな歴史です)。
コメントが短いので、福沢が朝鮮の近代化に期待していて失望したことを承知の上での批判かどうかはわかりませんが、朝鮮人が日本人の神経を逆撫でする天才であったことは、白石以来の「伝統芸」で、わたしには22世紀になっても変わらないのではないかという諦観があります。
貴兄がどういう背景で批判・提言されたのかは推察するしかありませんが、韓国の「千年批判」の妄想は、残念で不愉快というだけではなく、敬遠する胆力・直言する勇気が千年求められるのではないかと愚考しています。
韓国の対日感情の現状は、アジア通貨危機後の不幸と無関係ではないように思います。日韓ワールドカップ共同開催のころは、一般の人は「勝った」あるいは「追いついた」と思っていて、ソウルの地下鉄で目的の駅を探しあぐねていると、日本人と分かっていても周辺の人が親切に教えてくれました。その後、国にも国民にも「貯金」がないことに気が付いたようです。
韓国史を見ると「中世史」がありません。中国で言えば、貴族社会が解体した三国時代から隋唐の時代、日本の武家政権と戦国時代のような、内戦の時代がなく、古代社会のように、貴族と奴隷(奴婢)しかいない歴史が19世紀まで続いたように思います。商人や為替や経理・経営・流通も発達する機会がなかったように思います。
自分の技術知識・才覚に誇りを持てる、近代に通じる半ば公的な普及した教育もなく、人の心の発達が遅れているように思います。基本的には、了見の狭い田舎ものの心性を脱していない人が多いと思います。性理学(朱子学)とは違う、まともな高等教育を受けた人は、かなり違いますが。現在の韓国の国定教科書による教育は、朱子学への先祖がえりでしょう。
あと二世代もすると、貯金もできて、もう少しましになるかも知れません。おおらかな気持ちで待ちましょう。比率は違いますが、日本にも多少同じような情けない人がいます。
最後になりましたが、知的能力を働かせた、ご新説を興味深く拝読させていました。近所にある同じ「倭」が別の国であるとか言う愚説は、言語の機能に反しています(近くにある、紛らわしい違うものは、別の名で呼ぶのが普通)。証拠が増えることを期待しています。
骨のあるコメントで、謹んでご返答申し上げます。
しかし、以下の言は理解に苦しみました。
近所にある同じ「倭」が別の国であるとか言う愚説は、言語の機能に反しています(近くにある、紛らわしい違うものは、別の名で呼ぶのが普通)。
厳しく批判(愚説という全否定)されているというまでは理解できましたが、わたしの理解力では、「三韓」とまぎわらしい「倭韓」とは呼ばないのではないかという意味に受け取られました。誤読でしょうか? 違う意味でしたら、ご指摘願います。難しい表現に、久しぶりに漱石の「高踏派」という言葉を思い出しました。しかし、小著をご覧いただければご理解いただけると思いますが、「倭韓」と呼んでいるのは漢族で、倭人でも韓人でもないのです。
ご意見で、もっとも納得した点は「韓国史を見ると「中世史」がありません」という点です。古代の政治体制の代わり映えのない繰り返しの後、突然に、凶暴な近代ヨーロッパ(とその亜流の日本)の洗礼を受けたという歴史です。宗教支配の中世を、織田信長が16世紀に比叡山を焼き討ちしてヨーロッパに先立って終わらせたような歴史は、中国にも韓国にもないのです。当然のことながら、近代の支配に背を向けている中韓は、この現実に正対できていません。つまり、栄えある古代の後に、突然情けない近代に転落してしまったというのがかれらの歴史観です。さらに許せないのは、日本人が「名誉白人」の椅子に座っていることで、足を引っ張ってやろうというひがみ根性を、中国人は「紅眼病」(眼が紅くなる病)と呼んでいます。これは、反省が足りない日本人の偏見でしょうか?
「おおらかな気持ちで待ちましょう」という提言ですが、「千年批判」に対して「千年反論」という不毛の覚悟が求められるのではないかという、「積極的で」悲しい気持ちです。
貴兄の最初のコメントに追加して、わかりにくい文言にもう少しわかりやすい解説を追加していただければと思います。合わせてコメントを掲載させていただきます。
以上の回答を2月4日夜に直接返送して、返答を待って合わせてコメントをアップするつもりでしたが、ご返答がないようです。中途半端ですが、回答をしないままにしておくのも礼儀知らずのような気がして、とりあえずの回答とさせていただきます。
ソウルの地下鉄で親切にされた経験をお持ちということで、行動力があり小生よりかなりお若い(気持ちの)方ではないかという気がします。小生は韓国に旅行したことはありませんので書物で間接的に知るだけですが、幼稚園から「独島」教育をして韓国人の自覚を教えないと、庶民は容易に日本人になびいてしまうというのが実態であろうと思っています。支配階級の両班は、日本人が支配者であることに庶民が馴染んでしまって、見捨てられた過去に衝撃を受けました。日本から分離して数十年が過ぎても、日本文化を全面的に解禁することができない理由です。
韓国に「国民」意識が生まれるまで、つまり「反日」が必要とされなくなるまで、「千年批判」の対立構造は続きます。日本人の善意、贖罪意識では、どうしようもない根深い問題で、日本人はこの問題を解決してあげようなどと干渉すべきではなく、距離を置いて静観すべきです。韓国はもう「赤の他人」なのです。